プロフィール
1972年
12月19日に生まれる。
ハイハイできるようになりました。

幼稚園の卒園式。
1978年
6才
東久留米市に転入
いずみ幼稚園に入園。ライオン組でした。
1979年
7才
第五小学校に入学。
ひばりが丘スターズに所属。
学校のクラブではトランペット(4年)・サッカー(5年・6年)に所属。
音楽とスポーツが大好きな小学生でした。

小学生では珍しいスイッチヒッター
1985年
13才
南中学校に入学。
南中には野球部がなかったので、放課後は仲間と集まって野球やソフトボールをして過ごしました。
学校のクラブでは、3年間将棋部に所属2年・3年では主将を務めました。
相変わらずスポーツが大好きでしたが、この頃からコンピューターにも興味を持ち始めました。


中学校入学式
1988年
16才
立教高校に入学。
バスケットボール部に所属。
夏の合宿時、目に異変。病名は白内障と網膜剥離。

視力を失い、視覚障害者となる。
ちょうど昭和から平成に変わる時でした。
僕が見えた時代は昭和と共に終わったのです。
1989年
17才
本来なら目が見えなくなった学生は盲学校へ転校しなくてはなりませんが、私は学校の先生方にお願いして同じ学校に通うことが出来ました。
もし目が見えなくなって、学校や友達など周りの環境がすっかり変わってしまっていたら、私のショックはより大きなものになっていたでしょう。 同じ学校で同じ友達と学ぶ事によって、目が見えなくなっても今まで通りの生活を送る事が出来たと思います。

目が見えなくなって最初に野球を
見に行ったときの写真
1991年
19才
立教大学法学部に入学。
当時は、東西冷戦の終結・ベルリンの壁の崩壊・湾岸戦争の勃発など、国際社会が激動していました。
私は国際政治に対して強い関心を持ち、日本政治史を専攻することを決めました。
その他、軽音楽部でジャズ・ピアノを演奏したり、
演劇サークルでシナリオを書いたりしながら学生時代を過ごしました。

成人式
1993年
21才
大学3年時、アメリカ・ミシガン州で開かれた日米青少年草の根会議に 大学を代表して出席。 政治セッションに参加し、同世代のアメリカの学生たちと率直な意見交換を行いました。 私にとって、これが最初の渡米となりました。

会議のあとのパーティーで
ピアノ演奏
1995年
23才
立教大学法学部卒業。<卒業証書>
卒業後は民間企業への就職を希望したのですが、バブル崩壊直後という事もあり、視覚障害者である私を採用する会社を見つける事は出来ませんでした。 よって、あんま鍼灸師の資格を取るため、国立リハビリテーションセンター・理療教育課程で東洋医学を勉強することを決めました。
1998年
26才
あんま・マッサージ・指圧師、鍼灸師の国家試験に合格。
<あん摩マッサージ指圧師免許証><はり師免許証><きゅう師免許証>
資格取得後、留学を決意。
アメリカ・ワシントン州シアトルにあるワシントン大学の語学学校に入学。

東洋医学の勉強をしたことにより、私の政治に対する関心はより強まりました。 再び政治について学ぶため、私はアメリカへの留学を決意したのです。

シアトル、ワシントン大学のキャンパスにて
アジア人の学友と。
2000年
28才
アメリカ・オハイオ州クリーブランド大学に編入学。
アメリカ政治を専攻。
2000年大統領選挙の混乱・2001年9月11日のテロの衝撃などの歴史的事件を、現地にて体験しました。

2002年
30才
クリーブランド大学を卒業した後、帰国。<卒業証書>
少年時代を過ごした東久留米にもどり、久留米ハートネットを立ち挙げる。
「心のバリアフリー」をテーマに、年齢・性別・障害・国籍の違いに関わらず、誰もが住みやすいまちづくりを目指して活動を始めました。

2003年
31才
無党派・無所属、100%市民派として東久留米市議会議員選挙に立候補。
1931票を頂き、3位で当選。
現在、東久留米市議会議員として活動中。


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